クラヴィコードと物相飯(もっそうめし)
音楽家・内田輝さんの演奏会のために、京都・臨済宗妙心寺派「長慶院」へ。
内田輝さんはクラヴィコード演奏者。数年前から交流のある友人です。
クラヴィコードは14世紀頃から教会で弾かれていたピアノの原型とも言われ、その音は静寂の中でしか聞けないほど小さく、耳を研ぎ澄ませなければ聴けない楽器です。
「クラヴィコードを弾くと神様が天から降りて聴きにくると言われているんです。」以前、内田さんからそんな話を聞いたことがあります。
この演奏会は、年に三回行われる大本山妙心寺の懺悔の法要「方丈懺法(ほうじょうせんぽう)」が土台となっています。
クラヴィコード(+サックス)と、特別な梵唄(声明)のコラボレーションです。
静寂の中の静寂音を楽しむ。
心を鎮め、清める法要演奏会。
東洋と西洋の「祈り」を合体させた、何とも心に残る会でした。
さて、この演奏会は「座禅体験」と「物相飯」付きなのが特徴です。
今日は「物相飯(もっそうめし)」の考察です。
昔は牢屋の食事のことを「物相飯」と言いました。すべての料理を皿に入れた一膳飯です。囚人飯というと聞こえが悪いのですが、実は物相飯とは、元々僧堂の食事のことなのです。盛り切り一膳のごはんですべてを済ませる精進料理のことであります。
茶懐石には「物相」という型が使われますし、松花堂弁当は、型で抜いたごはんのことを「物相」と呼びます。茶の湯は禅が源流ですし、なるほど、物相飯は禅仏教から来ているのですね。そうなると話は別。そのイメージはガラッと変わります。
なぜ物相飯が僧堂食から牢屋の食事になっていったのか。
おかわりなし。質素な食事である牢屋の食事が、物相飯と同じイメージだったのでは?と想像はしてみるものの、正直なところ分かりません。
物相飯は切り盛り一膳の皿ですが、禅寺にはもうひとつ、お坊さまが使う食器「持鉢(臨済宗)」または「応量器(曹洞宗)」というのがあります。
これは一生のあいだ、お坊さまが使う重ね椀です。
こちらは以前、studio482+で扱っていた正法寺椀。三重ね椀です。実際に正法寺で昔、応量器として使われてきたものです。(今は製作していません。)
持鉢(応量器)と物相飯。
「応量器」で食べるのはお坊さま、「物騒飯」は雲水さんたちが僧堂(仏道修行に励む場所)で食べる、ということになりますか。
物相飯は今風に考えればカフェランチのようなワンプレートの食事でしょうか。精神性にはかなり違いますけれど...。
今回頂いた物相飯は、サツマイモと大根葉のごはん、大根の煮物、豆腐の煮物、小松菜と油揚げのお浸し、沢庵、です。
とてもシンプルなお料理ですが、いえいえ、どうして、おいしさもさることながら、手間をかけた心温まるワンプレートディナーです。
私が目指す「素描料理」に通じます。 (素描料理は私が命名した料理です。この話はまた今度。)
気軽に外食するようになった現代では、家の食事は質素であっていいのでは、と常々思います。
私は料理の仕事にずっと携わっていますが、普段の食卓はとてもシンプルで、一汁2菜にとどめています。
作り置きはほとんどしません。次の日に味が染みるお惣菜やカレーなどは多めに作ることはありますけれど、基本は作ってすぐ食べる。新鮮なものを新鮮なうちに、がやっぱりいいと思うのです。
同じ料理を何度も食べるより、その日、その瞬間においしいと思う料理を「一期一会」で食べる。それがいい。
冷凍もほとんどしません。冷凍したら絶対的においしくなくなりますし、冷凍庫に入れたのを忘れて結局、捨てることになりますから。第一、エネルギーがもうなくなってしまったような食べ物を好んで食べる気がしない。
ということで、この箱にはいった料理を、楚々といただく物相飯は私の理想。簡潔にして完結された、精神性を高める料理でした。
内田輝さんのサイト
内田 輝 uchida akira - studio baroque voice -
長慶院